黒田古墳(くろだこふん)

わが国最古級の前方後円墳!?
国道9号線を「園部河原町」の交差点で国道477号線に入り、ひたすら直進し府道54号線に入り、黒田橋を越えたことろに広がる田園地帯の右手奥にある「太陽工業」の工場敷地横にあります。園部黒田・船阪工業団地の造成中に見つかった、町内にある、口丹波最大の古墳である「垣内古墳(4世紀末〜5世紀)」よりも約100年ばかり古い古墳であり、園部や口丹波の歴史を考える上での貴重な遺跡といえます。少し草が生い茂っていて、「黒田古墳」と書かれたプレートが見えにくいので(左下の写真)分かりにくいですが、太陽機械工業の門の右手にある小さな丘が「黒田古墳」です。

古墳の詳細 ※園部町教育委員会『園部の歴史』より引用
<古墳の大きさ>
古墳は、標高約155mの丘陵の先端にあり、全長52m、南北約32m、東西約27.5mで南北に長い楕円形をした後円部に、長さ約20mの前方部をもつ墳墓です。尚、前方部は高さにおいて後円部よりも低く、三味線のバチの形に先が開いています。

<埋葬部分>
南北約7m、東西訳3.5mの広さの底に木棺がおかれていました。木棺の下や周りには、石を並べた床があり、長さ約3.5m幅約0.6mの木棺が残っていました。

<出土遺物>
棺内・・・鏡(龍鳳文鏡)、鉄ぞく、管玉
棺の南側に・・・うるしをぬった製品(布か袋か)
棺の周囲に・・・鉄ぞく数本、不明鉄製品
盗掘坑内に・・・土器(壺・高杯)

※鏡:龍鳳文鏡(りゅうほうもんきょう)とよばれ、中国の後漢(西暦25〜220年ごろ中国にあった国名)時代に作られたもので、後に黒田古墳に伝えられたものです。日本での出土例は数が少ないということです。
※土器:庄内(しょうない)式土器とよばれる弥生式土器で、壺には直線文・波状文・円形浮文などがみられ、ちょうど弥生時代から古墳時代に移行する時期につくられたものです。

このように、1.墳丘の形、2.埋葬施設、3.出土品(鏡・土器)から推測して、弥生時代末から古墳時代はじめに築かれた墳墓と考えられています。



 

 

 

 

 

 

 

 

【黒田古墳DATA】
住所:園部町黒田

 

 

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