大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)

国の名勝地「るり渓」を守る産土の神
大小さまざまな奇石や滝によって作り出される音風景で有名な国の名勝地「るり渓」一帯は大河内(おおかわち)といいます。大河内は、標高280メートルの山間盆地で、兵庫県・大阪府と隣接する地でもあります。大河内と、その隣接集落である法京・杉ヶ所の3集落の産土の神として鎮座しているのが、この大山祇神社です。大河内は遡ると「大河内村」、さらに遡ると「湯原村」と称していたといいます。

湯原村は、天慶の乱(939〜941年)後、藤原純友(すみとも)の弟である純索(すみもと)が再起を志して奥山であるこの地に隠世をしたことにはじまるとされています。以後、この地は、こうした敗残者が世間に知られずに隠れ住む里でありました。そして、純索は、文中3年(1374年)に、熊野三所権現を建立して、この地の産土神としました。これが大山祇神社のはじまりにあたります。その後、摂津・河内・和泉の守護、楠木正成(くすのきまさしげ)が延元元年(1336年)に足利尊氏との戦いで討死し、その弟の正末も転戦の末に、建徳元年(1370)湯原村へ来往したといいます。そして建徳2年に湯原村を大河内村と改名しました。

祭神は、産神金峰蔵王権現と祗園牛頭天王、熊野三所権現、さらに豊浦大神と河内大神(楠木正成のこと)であり、大山祇神社という社名は、明治3年の京都府調査に際して、このように名乗ったようです。それまでは開明山田大神社と呼ばれていたようです。

重要文化財である本殿は、応永26年(1419年)11月20日棟上で、楠の血末当村郷士下村義親、田井義高が造りかえたともいわれています。本殿壁面の外陣随神絵板の裏に「応永二十六年十一月八日」の墨書銘があります。本殿の構造形式は、一間社流造といい、こけら葺で、屋根の大棟の両端には鬼面付きの杉の鬼板が取り付けられています。この鬼板は、鬼面を超克したものを貼り付けためずらしいもので、類例のほとんどない貴重な資料だそうです。古くから何度も修理されてきたことと、かなり古くから覆屋(おおいや)が作られていたため、保存状態はきわめて良好で、初建当時の形式を良く保存しています。「るり渓」に寄られた際には、立ち寄ってみてください。

大山祇神社の脊柱横の坂道を登っていくと石の鳥居が見えてきます。鳥居のなかは、手入れの行き届いた北山杉の森です。(この辺り一帯は北山杉の生産地でもあります)さらに進んでいくと、大山祇神社の拝殿が見えてきます。

 

 

 

 

※「るり渓」についてはこちらで紹介しています。合わせてご覧ください。

 

 

 

 

 

 

【大山祇神社DATA】
住所:園部町大河内溝ノ上5
電話:なし
アクセス:大河内の集落の北西の角にあります、盛光寺の上に鳥居だけ見えています

参考文献:園部町教育委員会『園部の歴史〜郷土の資料〜』、広報そのべ『ふるさと探訪(24)』

 

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