不開門(あかずのもん)周辺
 

 

ここにあった厳しい門は、非常時でないと開かなかったため、不開門(あかずのもん)、またの名を不明門(ふみょうもん)と言いました。それにちなんで、園部公園階段下から、天満宮の前の道に繋がるこの道を町道不開線と言います。この坂道には「剃刀坂」という名前がついており、 少し前までは竹藪が両側に茂り、赤土の坂道でした。この不開門のそばに古井戸があり、殿様が茶の湯であそぶとき必ず汲まれた水と言われています。また、その井戸端にある椿の古木には狸がいて、夜になると釣瓶コカシが出るという伝説があり、実際に狸に化かされ、その後2、3日寝込んだものがいたという話も伝わっています。現在となっては門は跡形もなく、坂道だけが残っています。(上の写真左)また、 この坂道の手前の道沿いには、大きめの溝があります。(上の写真右)これが外堀の名残りで、かつて外堀には板橋がかけられていたといいます。

昔はなし「丸裸かになった甚内さん
園部にお城があったその昔、不開門のかわわらの古井戸に、人をよく騙す狸がおったそうな。城中のひょうきん者といわれた甚内さん、ある日この附近の外堀をひょこひょこ歩いていたところ、突然立ち止まって何からごそごそやり始めました。腰紐をほどき、着物もたたんで、頭の上に載せて丸裸になって、またまたひょこひょこ歩き出しました。村の人たちが、何や!ナンヤと集まってきて、その姿がおかしいやら、気の毒に見守っていましたが、とうとう堀の中を向こう岸まで渡りはじめました。堀の水の中でふと我に返った甚内さん…“アレ!ここはどこや…わしは江戸城に行く途中の大井川で川渡りをしとったはずじゃがなぁ…”とまたまたやられたそうな。

 


この不開門から北側の土手は、かつての地形がそのまま残っています。不開門から北へ30mほど行ったところに崩れかけた木造建築(基礎がコンクリートなだけに園部城との関係はなさそう)があります。(左写真)その裏側へ行けば、石垣も確認することができます。(右写真)

不開門より南側は、今ではすっかり住宅地になってしまっていますが、当時の地形はそのまま残っているようです。道から高台に建つ住宅まではコンクリートの壁に変わってしまっていますが、かつては石垣だったでしょうし、満ち沿いに続く溝は外堀です。溝はこのまま城南町の方まで続きます。当時の風景をあれこれ想像しながら歩いてみるのも面白いかもしれません。